5.7 GHz帯トランスバータ

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1. 概要

トランスバータとは無線機の周波数を上げるアップコンバータと下げるダウンコンバータが一体になった装置です. 一般的には下図のように(比較的入手しやすい)低い周波数帯を用いる無線機を使って,より高い周波数帯で通信を行うために用います.

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2. システム構成

今回は手元にある430 MHz帯のトランシーバ1の周波数を変換して5.7 GHz帯にオンエアするための装置を製作しました. 野外に持ち出しての移動運用を行うことなども考慮して,運用に必要な機能(回路)が過不足無く10 cm四方の基板1枚に収まるようにシンプルな設計を目指しました. 具体的にはアンテナ,ミキサは送受信で共用し,切り替えはSPDTタイプのRFスイッチを用いることや,トランシーバからの搬送波を検知して送受信を切り替える回路を搭載することなどを決めました. また,システムの構成を考えるうえで以下のようにノイズや信号のレベルダイアを引いて2ました. ここではアッテネータやアンプ,フィルタなどのコンポーネントの配置(順番)を検討し,送受信で別々のフィルタを搭載することにしました. これは,送信側では終段のPAとアンテナの間に高調波を抑制するLPFが欲しいという点と,受信側ではNFの悪化を抑えるためにアンテナ直下にLNAを配置したいという点に答えるものです.

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これらを踏まえて設計,製作したトランスバータの全体構成は以下のような形になります. 以下に各ブロックごとの詳細を述べます.

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2.1. 電源(Power Supply)

トランスバータの電源としては増幅器類を動作させるための5 Vと,ロジック系を動作させるための3.3 V系を用意しています. DCジャック(EIAJ #23)から入力された電源をLDO(AZ1084C)で5 Vにし,さらに別のLDO(AZ1117H4)で3.3 Vに下げる構成を取りました.

AZ1084Cは最大5 Aまで流せる強めの石であり,基板側も多少は放熱を考慮した設計にしてあります. 無線機用の電源として一般的な13.8 Vを入力してもまあ普通に使えてはいますが当然かなり発熱するのでできれば7 Vや9 V程度にしておくのが良いと思います.

2.2. IF帯のインターフェース(IF Interface)

今回トランスバータに接続する予定のトランシーバでは,設定で送信電力を100 mW(20 dBm)まで落とすことができます. しかしそれでもなおミキサに入れるには大きすぎるため,送信時のみトランシーバとミキサの間に-15 dBのアッテネータを経由するようにします. 送受信での経路の切り替えにはCELのRFスイッチCG2179M2を用いました.

また.送受信時での経路切り替えや送信用パワーアンプ(PA)の制御のため,トランシーバからの搬送波を検知して制御信号を生成する回路を搭載しました. この回路は搬送波をダイオード(1SS154)で検波し,2ゲートのシュミットトリガインバータ74HC2G14GVを用いて正論理,負論理の制御信号を出力します. IFのメインパスと検波回路は10 pFのキャパシタを介して接続しており,430 MHz帯においてはIF信号に与える影響は低くなっています.

2.3. 局部発振器(Local Oscillator)

430 MHz帯のIFと5.7 GHz帯のRFの周波数変換のために5.3 GHzのLOが必要です. 今回は局部発振器としてアナログ・デバイセズ(旧マキシム)のVCO内蔵PLL ICであるMAX2870を用いました. このICは2000円程度とお手頃価格ですが,23.5 MHz~6000 MHzと幅広い周波数範囲を出力することができ,特にVCOの基本波が3~6 GHzであるため今回欲しい5.3 GHz帯を得るのに丁度良いです. いろいろと考えて設計すると色々あるのかと思いますが今回はほぼデータシートの参考回路通りの構成で,ループフィルタ等の定数も既定値を用いています. このICの出力は最大5 dBmということですが,今回は出力端子部分の回路を最適化しておらず(シングルエンドで50 Ωの抵抗で吊っている), 周波数も上の方であることから実際にはそこまでの出力は得られないと思います.そして後段で使用するミキサはLOとして13 dBmくらい入れると良いなどと宣っています. そこでミキサの前にバッファアンプ(MMG3H21NT1)を挟みました. このアンプは秋月で200円(2023年当時)で入手でき,適当なバイアス回路を組むだけで6 GHzまでそれなりに使えるので便利です.

また,起動時に局部発振器のPLL ICに制御コマンドを送るためにATtiny85を搭載しています. 特定のタイミングでbyteのデータをSPIで送れば良いだけなのでその辺にある自分が使いやすいマイコンを選定しました5. このマイコンは論理的な構成としてはPLLの隣にいますが,実際の回路としては局発から少し離れた電源部の近くにいます. また基板上ではマイコン→PLLの通信線は基板上で繋がっておらず,コネクタを介して基板外で接続するようにしています. この設計の意図として,RF部は電源やロジックと独立してシールドできるようにしたかったことと,デバッグ時には一々基板上のマイコンにプログラムを書き込まず, 外部にコントローラを接続してPLLを動かせるようにしたかったという点が挙げられます.

2.4. ミキサ(Mixer)

ミキサにはアナデバのHMC218B6を用いました. パッシブなDBMなので外付け部品等もなくただポン付けするだけで動きます.

2.5. RF側のインターフェース(RF Interface)

送信側にはQorvoのWi-Fi向けPAであるRFPA5542を用い,増幅後にMSL(Micro Strip Line)で作ったLPFを入れ, 受信側はLOのバッファにも用いたMMG3H21NT1で増幅した後に同じくパターンで作ったBPFを入れるような構成とし, 送受信の切り替えにはCELのRFスイッチCG2409X3を用いています.

送信側PAであるRFPA5542はInGaPのHBTを用いた3段の増幅器になっており33 dBとかなり高い利得を得ることができます. またEnable制御端子があるため,送信時以外はスリープさせ,電力消費を削減できます. 聡明な方は気付いたかもしれませんが送信側には高調波を抑えるためのLPFがあるのみで,ミキサから出るLO-IFの差周波数を抑制するものがありません. これは単なる設計ミス7ですが幸いにもPAがそこまで広帯域でなく,差周波数の4.87 GHzでは利得が落ちるため実測ベースではまあまあ問題無さそうな感じです.

受信側ではプリアンプとしてLOにも使ったMMG3H21NT1を搭載しています. しかし,この増幅器はNFが6 dB程度とあまり良くありません. 受信機のTotal NFの大部分はここの増幅器で決まるため,もっとNFの低いLNAを使いたいところです. 秋月で売っている6 GHzまで伸びるアンプとしてもう一つ,アナデバのADL5611があります. こちらはNFが2.1 dBとなっており,一見こちらの方が良さそうに見えます. ですがこれあくまで900 MHzにおける値であり,6 GHzではMMG3H21NT1と大差無いスペックである上に実売価格が倍以上することから今回のケースでは微妙かなと感じました. SOT-89パッケージのLNAやゲインブロックは色々なメーカーが出しているので差し替えて試してみるのも良いかもしれません. 例えばMini-CircuitsのGALI-39+などは7 GHzあたりまでゲインが取れてNFが3 dB以下で良さげです.

2.6. 基板全体など

割と周波数が高めで誘電損失が気になるお年頃であることや,分布定数でフィルタを組んでおり板厚や誘電率が安定していて欲しいことなどから 一般的なFR-4では無く,高周波向けの材料を使うことにしました. また,かなり細かく複雑なパターンで両面加工が必要なため自宅の加工機では無く外注することにします. 最近は中国の格安基板屋さんでもFR-4以外の(高周波向けの)材料の選択肢が増えてきました. とはいえFR-4なら数ドルで作ってくれる所でもRogersの奴(RO 4350Bや4003Cなど)を選ぶと数百ドルとコストが高くなってしまいます. そんな中,JLCPCBが中国メーカー製のPTFE系基板の取り扱いを始めました. PTFE系なので(少なくともカタログスペックの上では)RO4350Bよりもスペックが良く,それでいて半額以下のコストで製造できます. そこで今回は今後のための実験的な意味も込めてこの中華PTFE系材料を頼んでみることにしました.

中華PTFE材料も誘電率等の違いから複数の種類が選べるようになっていたのですが,選べる最薄の板厚が30 mil(0.762 mm)とあまり薄くなく, 誘電率が低すぎると線が太くなって扱いづらいなと感じたため,選択肢の中で最も比誘電率が高いZYF300CA-Pを選択しました. 材料メーカーのラインナップとしては板厚15 milからあるようなのでこのあたりの選択肢が増えるとなお良いのかなと思います. 追記:この基板について詳細なレビュー記事を書きましたので併わせてご覧ください.

ZYF300CA-Pはガラスクロス+セラミックフィラーのPTFE基板であり比誘電率が3.0,tanδが0.0018となっています. この基板諸元とJLCPCBのデザインルールをもとに, 今回はRF側の主要部分については線路幅0.8 mm,G-S間隔5 mil(0.127 mm)の背面GND付のコプレーナ線路(GCPWG: Grounded Coplaner Waveguide)で配線しました. この線路の特性インピーダンスは計算上49.8 Ωとなるので結構いい感じなのでは無いかと思います.

また,送受信部のフィルタに関しては無償の電磁界シミュレータ(Sonnet 18.53-Lite)を用いて解析しつつ,いい感じに設計しました. ローパスは準集中定数的な設計のスタブ装荷型の構造としています. このように折り返し地点に方形のスタブを置いた構造のLPFはあまり見掛けませんが,ラジアルスタブとミアンダラインを組み合わせたような構造よりも設計やシミュレーションしやすく, 省スペースで多段化できるうえに特性も思ったより悪くならないのでオススメです. バンドパスフィルタの方はかなりオーソドックスなヘアピン共振器を用いた3段の構成としています. 実際はもう少し段数を増やしたかったのですがSonnet Liteの限界を越えてしまうため3段で抑えています. 以下に設計したフィルタのパターンとシミュレーションから得られた周波数特性を載せます.

stub.png lpf.png

hairpin.png bpf.png

完成して上がってきた基板はこんな感じです. 10 cm角の両面基板を5枚でおおよそ$50,入稿から9日で届きました. 製造に4~5日と書かれていたので配送に2,3日かかるのと土日などを考えるとちょうどそんなもんかと思います. 若干レジストに傷が入っているのが1枚ありましたが他はぱっと見問題は無さそうです. しかしJLCPCBではインピーダンスコントロールなどを提供しておらず,思った通りの線路ができているのかは未知数です8. またビア部分はレジストで埋めるよう指定したつもりだった(こちらの指示ミスかもしれない)のですが剥き出しになっています. 筐体に入れる時などは裏面に気を使わなくてはなりませんがテストする際などはプローブを当てやすいので便利ではあります.

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3. 動作

届いた基板に順番に素子を実装していきます. 比較的高価なPLLなどを破壊すると悲しいので,まずは電源まわりのみ実装して確実に3.3 Vが出ていることを確認しました.

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電源は大丈夫そうなので他の部分も逐次動作確認しながら実装していきます. 例えば局部発振器部分は,まず外部から制御信号を入れ,スペアナで狙った周波数が出ていることを確認しました. 外部のマイコンからの制御信号で無事動作することを確認した後,基板上にマイコンを実装しプログラムを書き込みます. このとき,局発の出力をプロービングするためにU.FLのレセプタクルに適当なリード線を付けた簡易GSプローブ的なものを作成したのですが,動作確認にかなり役立ったのでお勧めです.

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全ての部品を実装するとこのようになります. PLLの下らへんに怪しげな箇所があります.基板の設計をミスって修正しているのですがあまり気にしないでください.

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組み上がった回路にトランシーバを接続し,動作確認を行いました. トランシーバ出力の433 MHzに局発の5.3 GHzを加えた5.733 GHzの信号が確認できます9. 出力電力が設計より低くなっていますがこれはLOの信号レベルがミキサの推奨値よりもかなり低いためコンバージョンロスが大きくなっている説や, 出力側LPFの特性が設計からズレていて遮断域に差し掛かっている説などがあります. ほどよいSGが無かったため感度やNFなど,受信側の詳細な検証ができていませんが,ラフな検証ではそちらも問題無さそうです.

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トランスバータは完成しましたが,これを使って電波を出す(無線で交信する)ためには無線局免許が必要です. とりあえず送信側のデータは取れたので申請を行います. トランスバータは法律上,独立した無線機では無く既存の無線機の付加装置という扱いになります. 自作した無線機で電波を出す場合,保証認定などの手続きが必要だったりします10が,付加装置の場合は出力20 Wまでは保証がいらず直接申請ができるようになっているため,手続きが簡単です. 免許についてはまだ申請中なのでなにか動きがあったらまた追加で情報を掲載しようと思います.

4. 謝辞

この装置はMouser Make Awards 2023 電子工作・デザインコンテスト マウザーものづくり支援キャンペーンの支援を受けて製作しました. 同コンテストにもエントリーしておりますのでよろしくお願いいたします.

Footnotes:

1

YaesuのVX-3を用いました.

2

送信側のレベルも検討していますが,そちらはNFなどは気にしていないので結構適当です.

3

YaesuのFT-817などで使われている奴です.しかしEIAJ #2は規格としてはDC 3.15~6.3 V, 2 Aとなっているため今回の場合はもう1,2ランク上のものを使った方が良い気もします.

4

家に大量のストックがあったので使いましたがAZ1117Hは現在NRNDです.後継品としてAZ1117Cが出ているので新しく調達するならそっちが良いと思います.

5

ATtiny85にはUSI(Universal Serial Interface)というペリフェラルが搭載されており,ハードウェアでSPIを扱えます.しかし配線を間違えたため今回はソフトウェアでSPIを実装しています.

6

某サーキッツのDBMなどはトランスを巻いている感じが見えてそれはそれで好きなのですが,これは"novel planar transformer baluns"が使われているということでかなり小さいパッケージ(MSOP-8)に収まっており驚きです.

7

もともと送受信でBPFを共用するつもりでしたが,受信側のNF悪化を抑えるために配置を変更し,その際に送信側のケアを忘れたのだと思います.

8

気が向いたらフィルタ部分だけ切り出して評価とかしてみたいですね.(→評価しました)

9

いや,10 kHzくらいズレてますね.

10

自作した無線機で無線局免許を取るための手続等についてはこちらの記事で書いています.

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